“砂糖を使おうとフタを開けたらカチカチに固まって使いにくい…なんてことはありませんか。
湿気が原因と思うかもしれませんが、じつはこれ、乾燥が原因。水を1滴垂らして3時間待てば、もとのしっとりやわらかい状態に戻すことができるのです。”

驚きの最新ワザ大連発! : ためしてガッテン - NHK (via kanal)

マジか

(via mmclip)

出典: www9.nhk.or.jp


“永井さんの出産予定は3月。彼女の言葉通り、保活においては「最悪」の時期だ。というのも、現状では子供を預けられるのは最短でも生後43日からになる。そのため、3月生まれの子供はその年の4月には預けられない。

 しかし、ほとんどの保育園が4月でいっぱいになってしまうので、翌年4月を目指すことになるが、多くの母親が仕事に復帰する1才での入園は、待機児童が最も多い“激戦区”なのだ。永井さんはこう嘆く。”

妊娠発覚した女性 喜びつかの間「保活」タイミング最悪と語る│NEWSポストセブン

出典: news-postseven.com








なぜ帰宅難民2000人を無料収容したのか -帝国ホテル

■6年前からの備えが当日に生きた
東日本大震災が起きた11年3月11日、金曜日。震度5の揺れがあった東京では交通網が完全にマヒ状態となり、街は約10万人の「帰宅難民」で溢れ返った。タクシーはつかまらず、道路は大渋滞。営業中の店は少なく、あっても満席で入れない。大多数の人はトイレや空腹、寒さを我慢しながら歩き続けるしかなかった。

その夜、行き場をなくした2000人の人々のためにロビーや宴会場を開放したばかりか、毛布やペットボトルの水、保存食などを無料で提供したのが日比谷の帝国ホテル東京である。当日、陣頭指揮を執ったチーフデューティマネージャー(デューティマネージャーとは、ホテル全般の苦情対応責任者。総支配人の代行を務める役職)の山本一郎は、「たまたま運がよかっただけです」と温和な笑顔で語る。

「運がよかった」というのは、まず地震による被害がほとんどなかったこと。建物の損壊は客室の壁の一部に亀裂が入った程度で、電気やガス、水道などのインフラには支障なし。これがもし、火災が起きたり天井が落ちて怪我人が出たりしていたら、逆にホテルの外へ避難してもらわなければならなかっただろう。

さらにちょうど「帝国ホテル創立120周年感謝の集い」が開催されていたため、いつもは外回りをしている50~60人の営業マンが接遇のためにホテル内にいて、人手があったことも幸運だった。

しかし毛布はまだしも、2000人分の水や保存食などは、日頃の備えがなければとっさに出てくるはずがない。帝国ホテルでは、2005年から事業継続計画(BCP)の一環として、大規模災害に見舞われた際の対策マニュアルづくりに取り組んでいた。現場の意見を取り入れるのはもちろん、阪神淡路大震災を経験したホテルオークラ神戸、神戸ポートピアホテル、ニューオータニ神戸などを訪問してヒアリングをしている。

(中略)

■「困っている人がいると、お助けしたくなる」
午後2時46分の地震発生からわずか4分後の2時50分には、総支配人を責任者とした現場指揮所を1階ロビーのフロント裏に設置。館内放送で従業員に対して状況確認を命じる。安全確認後は、お客に向けて「余震があるので、次の放送があるまでその場で待機してください」と英語と日本語の両方で指示した。地震発生から14分後の3時には社長を本部長とした災害対策本部を設置し、3時30分にはホームページで「ホテル内での怪我人なし」と発表している。

ロビーに続々と人が集まってきたのはその頃からだった。予約客がチェックインしようとしてもエレベーターが停止したままなので、ロビーで待っていてもらうしかない。その一方で、上階にいた人々は不安を感じて非常階段を使って下りてくる。予定されていた宴席の招待客も、単なる通りすがりの人々も入ってくる。そんな中、山本はロビーで立ちつくす人々のために椅子を200脚用意し、タオルと氷の入った水を提供した。

(中略)

だが話はそれだけでは終わらない。ロビーで一夜を明かした人々から、お礼の電話や手紙がひっきりなしに届き出したのである。

「われわれとしては当たり前のことをしただけ。お手紙をいただくなんて、恐縮してしまって」と山本は語る。どの手紙にも、感謝の言葉が切々と綴られていた。

いわく、“寒かったから室内にいられるだけでもありがたかったのに、お水や食料まで差し入れしてもらった”“近隣の外資系ホテルではドアを開けてもくれなかったのに、毛布を貸してくれたばかりか、毛布の数が足りなくなったら大判のバスタオルを出してきてくれた”“携帯電話の電池が切れて途方に暮れていたとき、フロントで充電してくれたおかげで家族と連絡が取れた”……。

2000人の中には、ホテルとは無関係な、いわば通りすがりの人々も多かったはずである。にもかかわらず、分け隔てなく水や保存食を提供した。

実は帝国ホテルでは1923年の関東大震災のときも、避難してきた人々におにぎりなどの食料を提供している。山本にこのエピソードについて聞いてみると、「そういうDNAがあるわけではないんですが……」と謙遜しつつこう言った。…

http://www.news-us.jp/article/372533968.html

帝国ホテルが東日本大震災時に帰宅難民2000人を無償で収容したエピソードが凄すぎる これが日本の伝統と品格だ 2ch「いい話だな。こういうのが品格」「当時は報道されてたっけ?これは全国民が知るべき話」 (via hizayamasan)

2013-08-21

(via my-precious-legacy)

出典: hizayamasan


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